【少林寺拳法】初心者同士の胴・ミット練習は上達しない。受け手は上級者に頼むべき理由
突きや蹴りの威力を高め、実践的な動きを身につけるために欠かせない「胴」や「ミット」を使った練習。 この重要な修練において、私は明確な考えを持っています。 それは、「胴とミットは、可能な限り指導者や上級者に持ってもらうべき […]
【少林寺拳法】胴やミットをいい加減に持つ人は上達しない。相手を思いやる「受け手」の重要性
武道や格闘技の稽古において、突きや蹴りの威力を高めるために欠かせない「胴」や「ミット」を使った修練。 今回は、東京日本橋道院の道院長として強くお伝えしたい「胴やミットを持つ側(受け手)の姿勢」についてお話しします。 結論 […]
【少林寺拳法】「点数が上がる正解」を求める甘え。審判のためではなく己のために演武をせよ
先日、大学生の演武講習会に審判員として参加し、次代を担う学生たちに直接フィードバックを行う機会を持ちました。他の審判員の多様な着眼点に触れることができ、非常に実り多い場でしたが、同時に指導の現場で頻繁に耳にする「ある言葉 […]
【少林寺拳法】演武の審査基準は厳格化すべきではない。ルールが拳士の「個性」を殺す構造的欠陥
審判の「眼」がバラつくのは必然である 「審判によって評価が違う」という不満を耳にするが、審判の眼がバラつくのは当然である。 審判員といえども、それぞれ異なる修行経験と身体感覚を経て現在に至っています。この多様性を無視し、 […]
【少林寺拳法】すべての間違いは「道院長」から生まれる。過去の成功体験という猛毒と、進言の重要性。
少林寺拳法の道院・支部において、運営から技の細部に至るまで、すべての「大間違いの元凶」は所属長(道院長・支部長)にある。 どこの道院や支部も、基本的には所属長の過去の経験に基づいて運営されている。しかし、この「過去の経験 […]
【少林寺拳法】達人よりも「憧れの先輩」。学生拳士を伸ばすのは過保護な指導ではなく「適度な放任」である
結論から言えば、大学生の拳士を最も成長させるのは、優秀な指導者による手取り足取りの指導ではなく、身近にいる「憧れの先輩」の存在です。学生拳士の指導においては、すべてを教え込もうとするのではなく、「適度な放任」こそが最適な […]
【少林寺拳法】指導者の学びの場は「自分の道院・支部」にしかない。資格や肩書き集めに逃げるな
少林寺拳法では、本来の武階・僧階・法階の他にも、近年さまざまな新しい資格が増設されています。 指導経験の浅い若い拳士にとっては、これらが勉強のきっかけになるのは事実でしょう。また、過去の成功体験に固執し、新しい事実を受け […]
【少林寺拳法】「修練は楽しくないとダメ」という現代の病。指導者はエンターテイナーではない
昨今、少林寺拳法に限らず様々な武道やスポーツの現場で、「楽しんで修練しなければならない」「楽しくないとダメだ」という言葉をよく耳にするようになりました。 驚くべきことに、教わる側だけでなく指導者までもがこの言葉を口にして […]
【少林寺拳法】攻者の心得。当てにいかない「甘っちょろい攻撃」は相手への最大の裏切りである
少林寺拳法の技を習得する際、基本となる法形(決まった形)を通して攻守に分かれて修練を行います。 この時、攻者(先に攻撃する側)が絶対に忘れてはならない最も重要な心得があります。それは、「必ず守者(攻撃を受ける側)の役に立 […]
【少林寺拳法】修練に「早い者勝ち」はない。勝つより残る、抜くより積もる者が最後にたどり着く景色
結論から言えば、少林寺拳法の修練に「早い者勝ち」の要素など一切ありません。むしろ、どんな形であれ武道の世界に「残り続けること」こそが真の勝利であると私は確信しています。 役職や大会成績は「自己満足の通過点」 これらは一見 […]










