昨今、少林寺拳法に限らず様々な武道やスポーツの現場で、「楽しんで修練しなければならない」「楽しくないとダメだ」という言葉をよく耳にするようになりました。
驚くべきことに、教わる側だけでなく指導者までもがこの言葉を口にしています。私にはこの風潮が到底理解できません。
指導者は「楽しませる強迫観念」から抜け出せ
指導者の立場にある方々は、「生徒を楽しませなければならない」という強迫観念やプレッシャーに無意識のうちに支配されてはいないでしょうか。
結論から言って、教えている門下生に意図的に楽しんでもらおうとへりくだる必要など一切ありません。 入門してきた拳士は、そもそも少林寺拳法に興味を持ち、自らの意志で道場の門を叩いたはずです。指導者が下手にエンターテインメントを提供してご機嫌を取るような真似は、武道の修練場において不適切極まりない行為です。
真の「楽しさ」は厳しい修練の先にしかない
もちろん、修練への取り組み方は人それぞれであり、最終的に「楽しい」と思えることが少林寺拳法を長く続けていく上で最も重要です。楽しむこと自体を否定するつもりは全くありません。
しかし、武道における真の楽しさとは何でしょうか。 それは、肉体的にも精神的にもキツい厳しい修練を経て、自身の内部感覚と徹底的に向き合い、ついに理にかなった技がピタリとできた(努力が実った)瞬間に訪れるものです。やればやるほど上達する手応えを感じた時の喜びに勝るものはありません。
つまり、厳しい修練こそが正しく、素晴らしい結果(本当の楽しさ)を生む絶対条件なのです。
「最初から楽しむ姿勢」が実力を奪う罠
もしあなたが本気で上達し、より良い結果を出したいのであれば、最初から「楽しむ、楽しもう」とする考えは今すぐ捨てるべきです。
なぜなら、最初から楽しさを求めてしまうと、視点が完全に「自分本位」になるからです。 自分が楽しいと感じるメニュー、得意な技、耳障りの良い言葉だけを選び、苦しくて地味な基礎修練を「楽しくないから」という自己満足の理由で無意識に排除するようになります。結果として、本来やるべき泥臭い修練が完全に疎かになります。
厳しさを避けて手に入れた表面的な「楽しさ」など、実戦では何の実利も生み出しません。 安易な楽しさに逃げるのではなく、己の身体と向き合う厳しい修練の中にこそ、武道の真髄があることを忘れないでください。


