少林寺拳法の道場に子供を通わせている親御さんの中には、子供の修練態度や技術に対して、つい口出しをしてしまう方がいます。 「先生の話をしっかり聞きなさい」「あの時の動きはここが間違っていた」 親心からのアドバイスのつもりかもしれませんが、これらの行為は子どもの成長を阻害します。

評価と口出しは「上下関係」の押し付け

なぜ親の口出しが子どもに害を与えるのか。アドラー心理学において、他者を「叱る」あるいは「褒める」という行為は、自分が相手よりも上の立場にいるという「縦の関係(上下関係)」から生じます。対等な人間同士であれば、評価を下すのではなく、感謝や励まし(横のつながり)になるはずです。

子供がせっかく楽しみに道場に通っているのに、家に帰るなり親から「今日の基本はダメだった」と評価・比較されれば、どうなるでしょうか。 子供にとって、少林寺拳法は「自分が楽しんで自発的に学ぶもの」から、「親の期待に応え、叱られないためにこなす義務(親のための修練)」へと変質します。これでは、いずれ必ずやる気を失います。

「経験者の親」が陥る致命的な越権行為

最も厄介であり、かつ道場の秩序を乱すのが「少林寺拳法の経験者(あるいは他武道の経験者)」である親御さんです。

自分の過去の経験や知識があるがゆえに、自分の子どもの動きに改善点が見えてしまい、良かれと思って細かく技術的なアドバイスをしてしまいます。しかし、これは明確にやってはいけない行為です。道場において、子供を導き、技術や理合を教える責任と権限を持っているのは「道院長(指導者)」のみだからです。

親が横から違う角度のアドバイスや独自の指導を挟むことは、子供の頭を混乱させるだけでなく、指導者である道院長の存在と指導方針を軽視する「越権行為」に他なりません。親はあくまで保護者であり、第二の指導者になってはならないのです。

それは「誰の課題」なのか?

子供が道場で思うように上達しない、あるいは集中力に欠ける態度をとっている。それを見た親はヤキモキし、つい感情的に叱りつけてコントロールしようとします。 しかし、アドラー心理学の「課題の分離」に照らし合わせれば、それらは「子どもの課題」であって、親の課題ではありません。したがって親が介入すべきではありません。

  • 子供の課題: 修練にどう向き合い、どうやって技術の壁を乗り越えるか。
  • 指導者の課題: 子供の課題(つまずき)に対して、適切な指導と環境を提供すること。
  • 親の課題: 子供が道場に通うための物理的・精神的なサポート(送迎、月謝、道着の洗濯など)を行うこと。

上達しないことによる悔しさや、不真面目な態度によって指導者から毅然と注意される経験は、すべて「子供自身が引き受け、学ぶべき課題」です。 親が先回りして口出しをすることは、子供から「失敗から自ら学び、自立する機会」を奪い取ってしまいます。

親に必要なのは、何もしない「見守る勇気」

親が子供のためにできる最大のサポートは、干渉することではなく、無条件の信頼を寄せて「見守る」ことです。

「何か困ったり、手伝って欲しかったら言ってね。いつでも力になるよ」 この言葉だけを伝え、あとは子供から助けを求められない限り、技術的なことや修練の態度について一切口出しをしない。これが本当の意味での「見守る勇気」です。

何も言わずに見守ることは、口うるさく干渉するよりも遥かに強い忍耐と覚悟が必要です。しかし、親が干渉を手放し、道院長に指導を完全に委ねた時、子供は初めて「自分の足」で立ち、自発的に修練と向き合い始めます。

親御さん自身にも自分の人生があるはずです。子供の修練結果を必要以上に監視したり、一喜一憂したりするのは健全ではありません。道場への送り迎えと、帰ってきた時の「お疲れ様」という温かい声かけ。親の役割は、それだけで十分なのです。

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です