先日、大学生の演武講習会に審判員として参加してきました。 熱気あふれる会場で、次代を担う学生たちに直接フィードバックを行いながら、他の審判員の皆様の多様な着眼点にも触れることができ、私自身にとっても大変実り多い一日となりました。
指導の現場で、学生たちから頻繁に発せられる言葉があります。 「どうすれば点数が上がりますか?」 「今の基準では、何が『正解』ですか?」
競技として高みを目指す以上、それは当然の問いかもしれません。しかし、そこに一つの危惧を抱きます。採点基準という枠に最適化しようとするあまり、画一的で無個性な演武に陥ってしまってはいないでしょうか。
審判もまた人間です。 少林寺拳法の教え「人、人、人、すべては人の質にある」が示す通り、評価の視点は決して一つではありません。
私が指導や審査において最も重視し、逆に決して評価したくないと考えるものがあります。それは、演武と乱捕(実戦)が完全に乖離してしまった、魂の伴わない「形だけの動き」です。 理にかなった身体操作、実戦を想定した武術としての論理。それらが欠落し、ただ見栄え良くまとめただけの演武には、武道本来の力強さも、見る者を圧倒する凄みも宿りません。
だからこそ、あえて学生たちに伝えたいのです。 誰かが決めた「正解」など、どこにもないのだと。
審判の評価を満たすための演武ではなく、己の目指す強さと理合を突き詰める「覚悟」を持ってほしい。実戦を想定し、理にかなった動きを徹底的に追求した先にある、その人自身の個性。それこそが、結果として誰の目にも明らかな「質の高さ」となり、見る者の心を揺さぶるのです。
審判のためではなく、己のために。 その揺るぎない覚悟を持った拳士が一人でも多く育つことを、心から願っています。


