少林寺拳法をする目的はどうあれ、まずは少林寺拳法に興味を持つ、持ち続けることが大切だと思います。
大会はあるキッカケに過ぎず、修練を続ける動機として出場することは良いものの。
大会出場で賞を獲得することが目的になってしまえば、大会に出続けるしか少林寺拳法を楽しむことができなくなったしまうのではないかとと強く思うのです。
私は最優秀賞を頂いたあと、非常に迷った経験があるからでもあります。
とくに小学生の頃は、色んな経験をした方がいい時期だと思います。
色んな経験をするからこそ、色んな分別がついてくると思うのです。
少林寺拳法の魅力は大会に出ることだけではない。
それを大会に出るために修練に時間を要してしまえば、
色んな学びの機会を失うことにもなると思うのです。
大会に出ることは、
それに特化した時間を要する必要もあるため、
悪く言えば他の可能性を一部捨ててしまうことになりかねないと思います。
大会で賞を獲れる拳士は一部。
獲れなかったらダメなのかと思うかもしれませんし、
本気で出場したい拳士には良いものの、
そうでもない拳士にはキツいものでしかないと思います。
これらのことを思うのは自分自身の経験からでもあり、
高校時代の恩師が高校生の多感な時期に
「少林寺拳法」の思い出しかないのは人間形成上良くないとして。
長期休暇中は普段できないことに挑戦しろ!
として夏休みはおろか、冬休み、春休みも長期間部活動がなかったのです♪
そのおかげで色々な経験もできました。


拝見させていただきましたが物凄く同意しました、少林寺拳法は人間形成の行であり、護身術であるはずなのに大会で賞を取るために演武だけの修練を行う、見栄えを良くするために綺麗に投げられる修練を行う、私は柔道もやっていますが、人はそう簡単に投げられるものではなく、投げられない為にどうするかを修行するのが護身術であり武道なのではないのかと思います、柔道は小学生の全国大会を廃止しましたが、この投稿を見て少林寺拳法も小学生に対して何ができるかを考えていく必要があると実感しました、大会に固執すれば学びの機会を失い可能性を捨ててしまう、非常に響く言葉だと思います。長文失礼しました。
コメントありがとうございます。他武道の方からのご意見はとてもありがたいです。
多くの拳士が大会を目的に修練するので、大会の在り方を変えていく必要があると日々感じます。
一方で大会に出場を目的としない拳士も結構な数がいるので、その方々に向けた大会を模索しております。