人柄が良く、熱心な指導者が全力で門下生を応援し、育てようとする。 一見するとこれは素晴らしいことであり、歓迎されるべき美談のように思えます。しかし、この「指導者の過度な熱心さ」の裏には、往々にして指導者自身の見苦しいエゴが潜んでいることに気づかなければなりません。
「育てよう」とする指導者の自己満足
責任感が強い(と思い込んでいる)指導者ほど、「自分がこの拳士を育てなければならない」と躍起になります。
しかし、拳士の能力や身体感覚(内部感覚)の成熟度、理解のペースは人それぞれ完全に異なります。まだその段階に達していない拳士に対し、指導者が自分の思い描く理想のペースを押し付け、色々な手段を講じて無理に頑張らせようとすることは、相手にとって暴力的なプレッシャー以外の何物でもありません。
結果が伴えば美談として消費されますが、期待に応えられなかった場合、拳士は「指導者の期待を裏切ってしまった」という無用な苦しみと罪悪感を抱え込むことになります。これは指導者が、自分の「熱心に教えているという承認欲求」を満たすために、門下生を精神的に追い詰めている状態に他なりません。
ミスをカバーする「優しい環境」の残酷さ
組演武や団体演武の際、一人だけ調子が悪い(あるいは技量が追いついていない)拳士がいたとします。 「何度ミスしても誰も責めず、他のみんながカバーしてあげる。頑張りはしっかり評価する」
これを「面倒見が良い素晴らしい環境」だと勘違いしている人がいますが、大きな間違いです。 実力が不足しているという事実や、理合のズレから目を背けさせ、周囲がごまかして過保護にカバーする。その偽りの優しさこそが、「自分は周囲の足手まといになっている」という最大のプレッシャーと自己嫌悪を拳士に植え付けるのです。
失敗を直視させず、耳の痛い真実から遠ざけることは、その拳士が自ら課題を克服し、実利を掴み取る機会を完全に奪い去る残酷な行為です。
真の指導者は「過度に期待しない」
私がこれまで見てきた中で、本当に優秀だと思える指導者は、門下生の成長に対して「過度な期待」をしません。 彼らは、「まぁ、そのうち勝手に上手くなるだろう」と、ある意味で突き放したような態度をとります。
これは決して指導の放棄(ネグレクト)ではありません。 手取り足取り教え込み、自分の枠にはめ込もうとするのではなく、拳士が自ら内部感覚を探求し、試行錯誤するための「環境」だけを提供しているのです。
もちろん、本当に危険な時や、どうしても越えられない壁にぶつかった時には的確な助け船を出します。しかし、技を体得し、最終的に「育つ」のは、指導者の熱心さによるものではなく、拳士本人の自発的な力でしかないことを熟知しているのです。
過度な熱心さは今すぐ捨ててください。指導者の役割は、拳士を「育てる」ことではなく、拳士が「自ら育つ」のを邪魔しないことなのです。


