少林寺拳法における「良い指導者」とは、一体どのような方でしょうか?

・自身の技が圧倒的に上手である。 ・大会で入賞する可能性を高めてくれる。 ・門下生から絶大な信頼を得ている。 ・どんなに不器用な拳士でも、人並みに育て上げられる。

人によって「良い指導者の定義」が違うのは当然のことです。 しかし、これだけは断言できます。この世に「完璧な指導者」は存在しません。

なぜなら、どれほど素晴らしい指導者であっても、必ずその人なりの「偏見」や「好み」というものが存在するからです。

優れた指導者ほど「合う・合わない」が明確に出る

私がこれまで様々な指導者を見てきた限り、優れた技術と深い内部感覚をお持ちの指導者ほど、自身の武道に対するこだわり(偏見や好み)が強い印象があります。

ここでの「好み」とは、特定の拳士をえこひいきするとか、嫌いだから教えないといった低次元な好き嫌いの話ではありません。 純粋な身体操作や理合いの捉え方において、「指導者とバッチリ合う拳士」と「どうしても合わない拳士」が明確に分かれるということです。

指導者の感覚と合う拳士は、水を得た魚のように爆発的に成長します。しかし、合わない拳士はなかなか上達しません。 どんなに名将と呼ばれる先生であっても、必ず指導の「クセ」があります。全員を等しく最優秀に育て上げられる魔法使いのような指導者は、この世に一人もいないのです。

入賞者の「数」=指導力の高さ、ではない

例えば、所属拳士に最優秀賞を多く獲得させている実績を持つ指導者がいたとします。 しかし、その実績を「母数」をもとに分析してみると、違った景色が見えてきます。

・指導者Aの道院:100人の拳士がいて、20人を入賞させた。 ・指導者Bの道院:20人の拳士がいて、10人を入賞させた。

絶対数だけを見ればA先生の方が凄く見えますが、確率や指導の密度で言えば、B先生の方が指導力が高いとも言えます。 また、結果を出した拳士であっても、実は指導者の影響は少なく「本人の才能や自主練の成果」だったというケースもあれば、逆に「この先生の指導を受ける前の方が結果を出せていた」という残酷なケースすら存在します。

だからこそ、私は教え子から転籍や進学先(大学拳法部)の入部相談を受けた際は、その環境と本人の相性を見極め、非常に慎重に答えるようにしています。

正解がないからこそ「自分なりの拳風」を探求する

教わる側からすれば、伸び悩んだ時に取れる選択肢は「自分自身の意識を変えるか」、それとも「環境(指導者と仲間)を変えるか」のどちらかしかありません。

しかし、最後の最後まで、その選択が正解だったか否かは誰にも分からないものです。 もっと言えば、武道には最初から「絶対的な正解」などないからこそ、無限の可能性があり、自分自身の成長を一生かけて楽しめるのだと思います。

教える側にも教わる側にも、本当に色々な人がいます。 「あの先生の教え方は良い・悪い」と狭い視野でジャッジするのではなく、色々な人間がいる環境そのものを受け入れ、自分なりの「拳風(個性や得意技)」を表現できるように努めること。それが一番大切なことではないでしょうか。

余談:私が思う「最高に良い指導者」とは

ちなみに、私が個人的に思う「良い指導者」の条件は、とてもシンプルです。

道場での修練時は、妥協を許さずとことん厳しい。 しかし修練が終われば、行きつけの居酒屋や焼き鳥屋に並んで座り、お酒を酌み交わしながら「昔は俺もこんな失敗をしてさ〜」と、自分の失敗談や馬鹿話で一緒に笑ってくれる人。

厳しさと人間臭さのメリハリがある。そんな指導者こそが、私にとって一番魅力的で、一生ついていきたいと思える理想の先生なのです(笑)。

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