「演武指導では、本人がやりたい構成を好きなようにやらせて、応援してあげるだけで構わない」 「ズバッと指摘すると、大学生拳士から『鬱陶しい』と嫌われてしまうから」

結論から言えば、これらは門下生を思いやっているように見せかけた、指導者自身の卑怯な自己正当化(保身)です。指導者が「学生から煙たがられたくない」というちっぽけな感情を優先した瞬間、その道場における武道教育は完全に死を迎えます。

「自由な構成」と「理合の崩壊」を混同するな

演武は、法形を組み合わせて「実利(使える技)」の向上を図るための修練です。 構成の自由度が高いことと、理合を無視した「やりたいだけの構成」を許容することは全く次元が異なります。

大学生拳士がやりたがる構成の多くは、見栄えだけを重視したアクロバットや、実戦のベクトルを無視した自己満足に陥りがちです。それを「得意を活かす」「本人の自由」という言葉で包み隠し、根本的なバイオメカニクス(身体操作)の破綻を是正しないのは、指導ではなく単なる「放置」です。

「嫌われる恐怖」が指導を腐らせる

  • 誤った指導者: 学生から嫌われるのを恐れ、聞かれるまで口を出さず、当たり障りのない感想や応援だけをする。

  • 正しい指導者: 嫌われる勇気を持ち、武道としての実利から逸脱した時には容赦なく壁となり、論理的に是正する。

体力も知性も最も充実している大学拳法部という環境において、真に実利のある指摘であれば、学生は必ずその価値に気づきます。 「指導しても聞く耳を持たない、我流を通そうとする」と嘆く指導者がいますが、それは学生の態度が悪いのではありません。あなたの指摘に、学生を納得させるだけの圧倒的な説得力(理合の正確さと体現力)が欠けているからです。それを学生のせいにして逃げないでください。

「指導者の技量は関係ない」という致命的な逃げ

「所属長の技量と門下生のレベルは関係ない」「自分は体現できなくても、感想を言えば気づきになる」

この主張には、己の実力不足や加齢による衰えから目を背ける、強烈な甘えが潜んでいます。 確かに、指導者がすべての技を完璧に体現できる必要はありませんし、過去の大会実績を押し付ける必要もありません。しかし、「自分ができなくても関係ない」と開き直った指導者の言葉から、いったい誰が何かを学ぼうと思うでしょうか。

指導者自身が常に自身の身体と向き合い、泥臭く理合を追求する姿勢(背中)を見せなければ、賢明な大学生からの信用を得ることなど絶対に不可能です。

迎合を捨て、真の「環境」を創れ

大学生拳士に必要なのは、ご機嫌をとってくれる応援団長ではありません。 彼らが気づいていない身体操作の盲点を指摘し、彼らの未熟な価値観(我流)を真っ向から破壊してくれる「厳格な基準」です。

好かれる必要など一切ありません。 相手のやりたいことを否定しない「優しい指導」という名の怠慢を今すぐ捨ててください。武道の本質から外れた時は厳しく指摘し、その上で彼らが自発的に内部感覚を磨き上げるための「逃げ場のない環境」を構築すること。それこそが、指導者が果たすべき唯一の責任です。

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