修練を続けて成長するためには、自分が伸びる環境を整えていくことが最も大切であると強く思います。
昨年度まで東京武専に通っていましたが、今年度から通うことをやめました。
理由は、わざわざお金を払って足を運んで通う価値を感じることができなかったからです。
こう言うと武専を悪く言っていると誤った捉え方をする先生方がいます。
全く違う、武専が悪いのではない。
いまの私には教わりたい先生のところに、時間をつくって、高い交通費を払って、でも足を運んで出稽古に行った方が価値があるのです。
なので、メリットとして謳う修行期間・対象講習受講回数の減免も価値を感じません。修練の一つであるならエサで釣るようなことは好ましくない。
交流の場としても、指導者育成とも謳われているものの、実際は違ったからです。
そして修練は各所属先が一番重要であると改めて認識したのもあります。
「孟母三遷」
子どもは環境の影響を受けやすいので、良い環境を選ぶことが大切であるという教えではあります。
すでに初老の私に教えを当てはめるのか?とは思います。
けれど自分自身の成長には、環境ということを非常に強く意識しているので、御尤だと感じます。
私は強い人間ではありません。
頑張らなくても良い環境であれば、サボることは往往にしてあります。
道院長であるから、努力し続ける意志を支えている面もあります。
修練を続けていく上では、自分一人だけの努力ではどうにもなりません。
大小に関わらず周囲の環境が非常に重要だと思います。
だからこそ修練環境には、人一倍こだわります。
学生時代よりも修練できる時間は限られているわけですし。
自分のレベルを上げるためには、自分より優れている人のところに行く。
自分より意識の高く厳しい環境に身を置くことで、私は一人で努力するよりもかえって「楽」に修練を続けやすいのです。
もちろんキツい思いをすることはありますが、あとで考えれば良かったとしか思えません。
どのような環境が良いかは、人それぞれです。
楽しくできるところ、ちょっとハードなところ。
自分が伸びる場所にこだわって、頑張れば成長を加速させることも可能だと思います。
それは、武専も然り。
ただ現在、東京武専に通う拳士はお世辞にも多いとは言えません。
ほんの数名入って、増加傾向を謳っているのは些か疑問です。
以前のようなシステムではなくなった武専は、通うよりも毎回テーマを絞って特化型の講習会のようにしたらいいような気がします。
関東武専に参加して、あの活況を見ればオワコンではないと思えます。
人は自分がやってきたことを愛します。
時には押しつけのように他人に強く薦めることもあるでしょう。
先達者がつくり上げられてたことは魅力がありますが、魅力を感じられていないか魅力がないから集まらないのか?
今までのようにはいかないのは事実だと思うので、形を変えて伝えるしかないのだと思います。