四段拳士は、
大会出場する際、演武では五段技まで使えるし、
「四段の部」は修練を積んだ動く20代の若い拳士が多く、その檜舞台を見ると華々しい。

審判だってできるし、道院・支部を開くこともできる。

なので、五段になる必要ってある?

って思ってしまうほど楽しめたし充実感があった。

なので、
四段から急いで昇格しない拳士の気持ちはちょっと分かる気がする。

私は今年になってようやく五段位を取得したが、
道院長になったからという理由が1番大きい。

ただ四段って、少し先が見えている段位でもある。

五段は残りの技を覚えて、
六段は圧法を覚えて、、、次は?

えっもうないの?
て言うか五段技もこじつけたような技が多いしw

もうなんか技法で習うこと少ないよな。
あとは練度を高めるだけくらいかぁ。
道は長いけど、
なんか昔に比べて新しいことを習えることが少ないから新鮮味がないなぁ。

こんな感じで、
少林寺拳法の楽しみが、なんか減っている感じが否めなかった。

で、五段とってもさらに先が見えたような気がして、
なんかそれ以上進もうという気が起きない。。。

という個人的な感想です。

私自身、
いまは道院の運営と普及に勤しんでいるが、
まだ何も達成できていないから楽しめている。

どこかで満足してしまえば、
どうなるのか?という不安がちょっとあります。

なので見習いや級拳士がある意味羨ましい。

彼らはこれからドンドン覚えていく技があり、
不安はあっても予測不可能な境地なので自らの成長に期待を込められる。

さらに変化が著しいので希望があって楽しい。

つまり初心者の頃というのは、知識がない、経験がない、予測がつかない。
不安ではあっても、これから上手になるとか、色んなことが新鮮であり、希望もあって楽しさもある。

予測が難しいことだから、不安に駆られる一方で、そこに希望を感じやすい。不安と希望はトレードオフ。

容易い道はすぐにつまらなくなり、
容易くない道はあきらめる人も多くなる。

とまぁ四段について色々と言いますが、
老婆心ながら自分の限界を知って能力を限定してしまい。
技量を停滞させてしまっている四段拳士を多く見かけます。

とくに大会に重きを置く四段拳士が。

楽しめる時期であるからこそ、
やはりやるべき課題はあると思います。

個々の能力が定まってきている段階であり、
予想外・予定外のことが少ないので大して代り映えしない。

ある意味で安定期のようで一見良いように見えますが、
少林寺拳法への興味が以前よりも薄らいでしまえば技は色褪せる。

下手をすれば拳法人生は面白くなくなるかもしれない。

自分の拳法人生を輝かせ続けるためには、
新しい何かに挑戦しなければ継続は難しいかと思います。

なので私自身、
これからも普及に挑戦していきたいと思います。

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