五花拳や龍華拳などの「投げ技」。 これらの技を修練する際、「力まかせに投げること」を真っ向から批判する指導者や拳士がいます。
もちろん、その理屈はよく理解できます。 しかし、東京日本橋道院の道院長としての私の意見は少し違います。結論から言えば、「力まかせに投げることは、決して悪いことではない(あまり問題にする必要はない)」と思っています。
今ある「自分の能力」を最大限に活かすのが技
力だけに頼ってしまうのは良くない、と仰る方の気持ちは分かります。 相手の攻撃の勢いやベクトルをいかに利用するかが技の妙味であり、相手に自ら「飛んでもらう」ような忖度の投げは論外です。 できるだけ力を使わずに、体力がない女性でも相手を崩して投げられる。私も常にその境地に達したいと修練を重ねています。
しかし、武道の本質とは「今ある自分の能力を最大限に活かすこと」です。 力があるうちは、その持てる力を存分に利用して相手を投げれば良いのです。
若い拳士には圧倒的なスピードやパワーがあります。それならば、その若き特権を大いに活かせば良い。ないならないで工夫すれば良い。同じ技をやるにしても、個人の体格や資質によって違いが出るのは当然のことであり、それを頭ごなしに否定するのは良くないことだと私は思います。
体力の衰えが「技の妙味」を教えてくれる
偉そうなことを言っていますが、私自身も年々体力がなくなってきています。 体力のピークは大学生の頃で、今やその半分の力も残っていません。年齢を重ねれば、衰えは否めないのが自然の摂理です。
だからこそ、私は昔よりも「力を使わずに技をかけること」を身体が自然と求めています。 ピーク時よりも圧倒的に足りなくなった筋力を補うために、相手の力を利用し、自分自身の内部感覚を研ぎ澄ませて、理合いで投げる工夫をしているのです。
そして、それが途方もなく「面白い」のです。
「力だけではない」と伝えておくことは指導として必要ですが、有り余るパワーを持つ若い拳士にそれを口酸っぱく言っても、正直あまり響きません。なぜなら、彼らは今の「力」だけで事足りているからです。 必要性に駆られていない人に言い過ぎるのは無駄に近いですし、せっかくの彼らの特徴(パワー)を殺してしまうことにもなりかねません。
個性を認め合うことで、武道は一生楽しめる
ある程度、技の「形」を体得するまでは、ただの力まかせは良くありません。 しかし、有段者になってからは、自分の特性や身体能力を活かす方向へシフトした方が絶対に良いと思います。その方が、少林寺拳法という道を深く楽しむことができます。
「この投げは、絶対にこうでなければアカン!」 と原理原則に縛り付けすぎても、実際に人が動けば必ず違いは出ます。昔の達人と言われた先生方は、非常に人柄も個性的で、技も自由で躍動感に溢れていた気がします。
【例外】関節を極める技の「力まかせ」は絶対NG
最後に、一つだけ重要な例外をお伝えしておきます。 投げ技で力を使うことは容認しますが、逆技などの「関節を極める技」を力まかせにかけることは、厳しく批判すべきだと思っています。
なぜなら、関節技を力で強引に極めようとすれば、いとも簡単に相手の靭帯や骨を破壊し、大きな怪我をさせてしまうからです。 それでは少林寺拳法の理念である「活人拳(人を活かす拳)」から完全に外れてしまいます。
相手を壊さない技術と、自身の特性を活かす技術。 その違いを正しく理解し、自分の年齢や身体の変化に応じて技をアップデートしていくこと。それこそが、生涯にわたって武道を楽しむための秘訣なのだと思います。


