少林寺拳法の道院を運営していく中で、私は「単に拳士の数を増やすこと」が必ずしも良いことだとは思いません。
重要なのは、人数の多さではなく「志ある者が集う場所になっているかどうか」、ただそれだけです。
修練の基準は「覚悟を持つ者」に合わせる
自由な選択ができ、何事も便利に済ませられる今の時代。 だからこそ、武道という場においては「自分自身を根本から試してみたい」「自らの内部感覚と深く向き合いたい」という強い探求心がベースにあるべきだと考えています。
では、道院での修練は誰のレベルや目的に合わせるべきでしょうか? 身体能力でしょうか?それとも、その日の気分でしょうか?
私は、「覚悟をもって取り組んでいる拳士」に合わせるべきだと断言します。
もちろん、武道を始める目的は人それぞれであって良いと思います。健康維持やダイエット、あるいは軽い趣味として楽しみたいという入り口を否定するつもりはありません。
しかし、当道院の限られた時間は、深く道を追求したいと願う拳士のためにこそ注ぎたいと考えています。
「誰でも歓迎」が招く中途半端な環境
なぜ、そこまで基準にこだわるのか。 それは、人は「身を置く環境」と、「そこで共に汗を流す人間」によって最も影響を受け、人格が磨かれ成長していくからです。
もし、熱量を持たない人に合わせて修練の基準を下げてしまえば、本気で取り組む拳士のやる気まで奪うことになります。 「誰でも」「どなたでも」と間口を広げすぎた結果、すべてが中途半端な道場になってしまうのは本意ではありません。
多少の目的や目標が違えども、日々の修練に向き合う「姿勢」に違いが生じれば、結果的に誰もが不満を抱くことになってしまいます。
道場という一つの生態系において、互いに高め合う「環境」を守り抜くことは、指導者としての大きな責任です。 門下生が努力する姿勢は全力でサポートします。しかし、最終的に自分の道を歩むのは本人です。そこに過度な特別扱いや、甘えを許すような配慮は必要ありません。
目が届き、共に高め合える「適正規模」とは
こうした考えに基づくと、自分の道院が最高の質を保てる規模は、年代にもよりますが「常時修練の参座者が10名前後」が適正だと感じています。
一人ひとりの微細な身体の動きや、拳禅一如に通じる些細な内面の変化にまでしっかりと目を配り、責任を持って面倒を見れるのは、20名が限界でしょう。
少年部に関しては、まだ心身が成熟に満たない段階であるため少数に留め、その成長を温かく見守っていきたいと考えています。 そして若年層から一般の拳士にかけては、熱気ある構成で、深く研ぎ澄まされた修練の場を作っていく。
これからも、ただ数を追うのではなく、本気で自分と向き合いたいと願う拳士のための道院であり続けたいと思います。


