近年、あらゆる分野で「タイムパフォーマンス」や「量より質」という言葉が重視されるようになりました。確かに効率は大切ですが、武道の修練において、まだ基本を身につける段階にある私たちがこの言葉を安易に使うことには、少し立ち止まって考える必要があります。

今回は東京日本橋道院の道院長として、「量と質」の本当の関係についてお話ししたいと思います。

「量より質」はベテランが到達する境地

ある動画で元プロ野球選手の里崎智也氏が非常に示唆に富む発言をしていました。

「量より質と言うのは、圧倒的な量をこなして実績を残し、体力が落ちてきたベテランがクオリティを守るために到達する境地である。ゼロを1にする段階の人たちが、最初から質だけを求めても何も生まれない」と。

少林寺拳法の修練でも、これと全く同じことが言えます。

目先の結果を急ぎ、基本を遠ざけていないか

級拳士・有段者の中でも、どうしても目先の大会の成績や演武の点数といった「分かりやすい結果」に意識が向きがちな拳士がいます。それ自体はモチベーションとして否定しません。

しかし、結果を急ぐあまり、「演武に技だけ」や「実戦に使える技だけ」と言って、地味で反復の多いものの「基本」や「法形」の修練を無意識に遠ざけてはいないでしょうか。

泥臭い「量」の中にしか「質」は宿らない

鏡やビデオといった媒体を使わず、自身の身体の内側に意識を向け、理にかなった体の使い方を獲得する。この「感覚」は、頭で理解してすぐに体現できるほど軽いものではありません。

何百回、何千回という圧倒的な「量」をこなし、自身の身体と対話する泥臭い過程の中にしか、真の「質」は宿らないのです。

困難な課題に直面したとき、「自分には合わない」「これをやっても意味がない」とすぐに答えを求め、考えることを放棄してしまうのは非常にもったいないことです。意味があるかどうかは、やり抜いた後に初めて自分の身体が教えてくれます。

無我夢中で汗を流す素直さが、自らを引き上げる

これは決して、皆さんの現在の努力を否定するものではありません。むしろ、皆さんの中にある「まだ引き出されていない圧倒的な可能性」を信じているからこそのメッセージです。

指導者を信じ、素直な心で無我夢中で汗を流す。その真っ直ぐな姿勢こそが、自分自身を次の次元へ引き上げる最大の原動力になります。

小手先の技術や目先の成果にとらわれず、今一度、目の前の基本に愚直に向き合ってみましょう。圧倒的な「量」をこなし、共に真の「質」を追求していきましょう。

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