これまでと同じように修練をしなくなったり、できなくなったりした道院長や支部長は、弟子たちに越えられてしまうのは時間の問題です。
修練を続けられていないことは、成長が止まってしまっているということ。
もちろん積み重ねた経験があるこそ巧みな技をお持ちであり、すぐに抜かれてしまうとか、教えられなくなるというのはないでしょう。
しかし、これからの若い拳士に対して、お年を召した拳士は、お元気なうちに若い拳士にバトンタッチしてあげた方が良いと思います。
もちろん考え方であり、拳士の方の中ではパワフルに70歳80歳になってもバリバリとこれからの拳士を牽引する方も多くおられますから、否定はしません。
ただ老いるのにいつまでも自分が優れていて教え続けなければならないと思うのは傲慢です。すでに抜かれているかもしれませんし、承認欲求を満たそうと弟子の成長を阻み妬むなんて愚の骨頂です。
「自分の言うことは絶対正しい」となって、人の言うことをあんまり聞きたくないというような。歳を重ねたら、そういうふうになってくる傾向があります。
自分を信じて頑張るというのは何歳になってもやった方がいいと思いますが、歳とともにできなくなってきたことは増えているかと思います。
だから、自分にできないことを認めて、若い人を認める勇気って絶対いると私は思います。
自分だけでは難しいけれども、他の人の力を借りればうまく行くっていうことは大いにあること。
様々な環境の中で若い人の力を引き出すことでやり方を変えていかないと、やはり武道団体としての継続は不可能になってしまうのではないかと思うところがあります。
道院長も門下生も同じ目的地を目指す修行者です。色んな区別なくみんな同じ道を歩む者であるはずです。
教える側は、少し早く修練を始めただけであり、ちょっと先を歩んでいるだけ。だから後輩拳士には良くも悪くも背中を見せることが大切であると思います。その姿を見て励まされ、勇気をもらうこともあるでしょうし、反面教師になることもあるでしょう。
後輩の成長を認めて・任せて・支えてあげれば益々成長する。
それが良い継承になると思います。
技術面で自分を超えられると相手に強く言えなくなると恐れる方がいますが、そんなことは決してないと思います。自分にできて、相手にはできないことがあります。
豊富な経験からいくらでもアドバイスができるはずだと思いますし、その経験から来る人となりのアドバイスを若い拳士が求めるはずだと思います。