今回は、指導的立場にある方々にとって少し耳の痛い話になるかもしれませんが、批判を恐れずに私の本音をお話しします。

少林寺拳法の指導者の中に、技の説明が「長すぎる」方を多く見受けます。

「たくさん言葉を尽くせば、相手に深く理解してもらえる」と思うのは、指導者側の少々烏滸(おこ)がましい勘違いではないでしょうか。

技は「頭」で理解するものではない

言葉の数が多くなればなるほど、聞く側は情報処理が大変になり、本当に一番大切なポイントがボヤけてしまいます。

そもそも武術の技というものは、頭(理屈)で理解するものではなく、自身の身体を動かし、その「内部感覚」を研ぎ澄ませながら体得していくものです。

長すぎる説明は、一見すると懇切丁寧な指導に思えるかもしれません。 しかし、言葉の意味が理解できたからといって、実際にその通りに身体を動かせるわけではないのです。相手の受け取り方によっては、かえって混乱を招く原因にもなります。

言葉だけで「合掌礼」を教えられますか?

実際に、見習い拳士に対して「目を閉じさせた状態」で、正しい合掌礼を指導してみてください。一切の手本を見せず、言葉の説明だけで、です。

おそらく、相当難しいはずです。 言葉だけで相手を自分の思い通りに動かすことがいかに困難か、すぐに気づけると思います。

長ったらしい説明は「修練の時間」を奪う

百聞は一見に如かず。 武道における真に懇切丁寧な指導とは、「一目で分かりやすい手本を何回でも見せること」と、「見ただけでは分からない見えないポイント(力のかけ方など)だけを言葉で補足すること」です。

まずは「これがどんな技なのか」という明確な完成形をイメージさせないまま、長ったらしい説明から入るのは好ましい指導とは言えません。 御託を並べただけでは、決して相手のためにはならないのです。

何より、指導者の話が長ければ長いほど、拳士たちが実際に身体を動かして「修練する時間」が奪われてしまいます。これは本末転倒です。

まずは「拳禅一如」を体現した一発の技を

だからこそ、技を教える時に指導者が一番最初にやるべきこと。

それは、あれこれと口で説明することではなく、心と体、そして技が完全に一致した「拳禅一如」の渾身の技を、自らの身体で一発披露することです。

その圧倒的な説得力(背中)を見せることこそが、言葉よりもはるかに早く、深く、拳士たちの心と身体に響くのだと私は信じています。

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