人は誰でも良い評価を受けたいものですが、道場で「恥をかくこと(失敗したところや下手な姿を見せること)」を避ける人間は、拳士であれ指導者であれ絶対に成長しません。
「上手く見られたい」「無知だと思われたくない」という見栄を守るために行動を制限すれば、必然的に上達は遠のき、指導者においてはその威厳すら失うことになります。今回は東京日本橋道院の道院長として、修練における「恥と見栄」についてお話ししたいと思います。
1. 拳士の罠:下手を隠せば「上達の機会」を失う
修練を続けていると、誰しも「できれば誰にも見られたくない不格好な時期」を経験します。
特に初心者の域を抜け出し始めた頃には、「そこそこ経験を積んだのだから、上手くできなければ恥ずかしい」という思いが芽生えがちです。その結果、次のような行動に陥ります。
- 質問を避ける: 「こんな初歩的なことを聞いたら呆れられるかも」と、分かったふりをしてやり過ごす。
- 見られることを避ける: 失敗やダメ出しを恐れ、確実にできる安全な動きしか見せなくなる。
しかし、自分の下手なところを隠そうとすればするほど、指導者や先輩から有益な助言をもらう機会を自ら捨て去ることになります。 分からないことは素直に「分からない」と聞き、不格好でも全力で技を試す。評価を気にせず、泥臭い鍛錬の過程を他人にさらけ出せる拳士だけが、確実に成長の壁を越えていくのです。
2. 指導者の罠:威厳を守るための「知ったかぶり」
この「恥を恐れる病」は、むしろ指導的立場にある人間の方が重症化しやすい傾向にあります。
指導者は「先生」と呼ばれ続けるうちに、「すべてを知っていなければならない」「常に完璧な手本でなければならない」という強迫観念(あるいは見栄)に縛られます。
- 失敗を誤魔化す: 自分の技が上手くかからなかった時、素直に認めず、相手のせいにしたり体調のせいにしたりする。
- 教えを乞えない: 自分より若い拳士や他分野の人間から、素直に教えを乞うことができなくなる。
「すごい人だと思われ続けたい」という肥大化したプライドは、指導者自身の成長を完全に止めてしまいます。 そして何より、失敗を隠し、分かったふりをして威厳を保とうとする指導者の浅ましさを、門下生は非常に冷めた目で見透かしています。下手を隠そうとする指導者は、結果として最も守りたかったはずの「尊敬」を失うことになるのです。
3. 「成長途中の自分」をさらけ出せる強さ
上達したいと願いながら、上達する途中の「下手な自分」を誰にも見せずに済ませようとするのは不可能です。
指導者であっても完璧ではありません。分からないことは「教えてくれ」と素直に口にし、新しい技や、その掛け方などに四苦八苦しながら汗を流す。その「恥をかくことを恐れず、自分自身が泥臭く挑戦し続ける背中」を見せることこそが、言葉以上に門下生の心を打ち、真の尊敬へと繋がるのではないでしょうか。
「恥ずかしい」と感じるのは、それだけ自身の修練に真剣に向き合い、新しい限界に挑戦している証拠です。見栄やプライドを一旦脇に置き、格好悪くてもいいから目の前の課題に食らいつく。そんな「恥をかける人間」たちで溢れる道院でありたいと、私は強く思っています。

