道院長や支部長は指導を仰ぐ拳士を指示する立場であり、あまり指摘されるような立場ではなくなったためか。

指導がつい疎かになってしまう可能性があります。
また修練にしても良くも悪くも技に「クセ」がつきやすくなる。

それもこれも指摘されにくいから、だと思います。

立場上の事情は少し分かるのですが、
拳士たちから「偉い」と扱われやすくなり。

「偉く」なったと勘違いしやすい。

となると、
そうではない扱いをしてくる拳士を生意気だとか、分かっていない拳士だとか。
そのような拳士を敵だと思ってしまいかねません。

自分って舐められている?ってね。

まぁ本当に何も分かってない拳士に怒るのは当然でしょうが、威厳・尊厳を保ちたいためか。

教えたことに鋭い質問をされると、
適当に持論だけを展開して逃げてしまう方も極たまに見かけます。

分からなければ分からないで良いと思いますし、
自分なりに答えられる範囲で答えるか、ヒントになる意見だけ与えてあげても良いと思います。

私も答えられないことだらけなので、
できるだけきちんと答えられるように、
様々なところに出稽古に行かせて勉強させて頂いております。

道院長・所属長も修行者ですから。

道院長になってから、
同じ立場の人の振る舞いを見ることが増えました。

人間って結構元祖帰りなんだなぁと。
自分が育ったところ、自分が成功したところで、物事を理解しようとする。
そんな傾向にあるとつくづく思います。

でもこれをやってしまうと指導では、すぐに限界が来てしまいます。

私が大学のコーチをしていた頃、
運動能力の高い学生拳士を指導していたため。

一般的な運動能力の方々に結果を出す指導した時に、
うまく伝えて伸ばして上げられず成果がほとんど出ませんでした。

自分の指導の守備範囲の狭さに落胆してしまいました。

本人らの能力に差があることはあっても、
指導の原因を相手のせいにしては決していけないと思いますから。

つまり、
指導力のなさに気づけた。

なので、
指導者はそのような気づきを与えてくれる存在がそばに居た方が良いと思います。

とくに役職や地位が高ければ高いほどの先生らは。

指導を色々と経験して今のところ思うことは、
もし技が「かかりやすい」拳士がいたら、私に気を遣って倒れてくれた。
と、思うようにしています。

例え実際に技がかかって倒れてくれたとしても、
相手が倒れたのは自分の巧さであると勘違いしてはいけない。
と心に言い聞かせています。

乱捕りも同じく、相手が手加減してくれたとね。

「自分はまだまだ」と思っていれば、
まだなんとか上達できると信じています。

少林寺拳法を現役で続ける以上は、
もっと上手になりたい、弱さに甘んぜず強くなろうとする。

ただそれだけで良いと私は思います。

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