早く結果を出してしまうと、すぐに次の目標が必要になり、やがて息切れしてしまう。少林寺拳法を指導する中で、私はそんな光景を何度も見てきました。
先日、娘と一緒に有料配信で『ドラゴンボール』を見ていた時のことです。 CMもなく、オープニング曲も飛ばして、第1話からどんどん先へと見進めることができてしまいます。するとどうでしょう。あんなに名作なのに、不思議とだんだん見る気が失せてきてしまったのです。
私が子どもの頃は、毎週の放送を心待ちにして、学校で友達と「次はどうなるんだろう」とワクワクしながら語り合っていました。この「すぐには見られない時間(待つ時間)」こそが、興味と想像力を大きく増幅させていたのだと気づきました。
日頃の子育てにおいて、安易におもちゃを買い与えるのではなく、自分たちで工夫して遊ぶ経験を大切にしているのも、こうした「すぐに手に入らないからこそ育まれる豊かさ」を実感しているからです。
スポーツや武道における「上達の落とし穴」
これは、武道やスポーツにおける「上達」にも全く同じことが言えます。
自分の成長過程を実感できることは、とても楽しいものです。上達すれば自信に繋がりますが、逆に「早く上手になればなるほど、興味も急速に失せやすい」という落とし穴があります。
だからこそ、私は早く上達させようと急かすことは、必ずしも良いことだとは思えません。「上達する楽しみは、もう少し先にとっておく」くらいのペースで、じっくりと修練と向き合えば良いと強く思っています。
高校生や大学生の拳士で、本人が強く望むのであれば仕方ない部分もあります(それでも、見習い拳士をいきなり大会に出場させることには反対です)。しかし、小・中学生に対しては、私は決して「大会結果を出すこと」を目的とした指導はしたくありません。
燃え尽きたOBOGと、私の20年の空白
先日、母校である日本体育大学の拳法部のイベントに出席し、現在は少林寺拳法を続けていないOB・OGたちと話をする機会がありました。 そこで印象的だったのが、「もうお腹いっぱいです」「十分やりきったので、次の目標が見つかりません」といった声でした。
若いうちに大会で大きな結果を出してしまうと、続ける意欲が湧きにくくなってしまう。その現実を改めて突きつけられました。
なぜなら、他でもない私自身がかつてそうだったからです。 学生時代やコーチ時代に大会でそこそこの結果を出し、指導実績もそれなりに積んだ後、私はどこか心に喪失感を抱き、結果的に20年ほどの休眠期間(ブランク)を作ってしまいました。
当道院において、たとえ世界大会レベルの素晴らしい実績を出したとしても、特別な祝賀会を開いたりご褒美を与えたりしないという方針をとっているのは、こうした「結果至上主義による燃え尽き」を何より危惧しているためでもあります。
細く長く続ける者が、最後には一番輝く
一方で、当時そこまで大会で輝かしい成績を残していなかったとしても、地道に修練を続けているOB・OGたちは、年齢を重ねるごとに人間としての魅力や武道家としての輝きが増していました。
長期間サボってしまった私には、当時の往年の輝きはもうありません。 だからこそ今は、少しでもこの道を末永く継続するために、まずは自分の健康管理に気を配りながら(笑)、焦らずに日々の修練を楽しんでいます。
「上達」という極上の楽しみは、焦って一気に消費してしまうにはあまりにももったいないものです。 拳禅一如の精神で、自分の身体の内部感覚とじっくり対話しながら、一生をかけて少しずつ味わっていく。それこそが、少林寺拳法を最も贅沢に楽しむ方法なのだと思います。


