少林寺拳法を世の中にアピール(広報・普及)する際、つい前面に押し出してしまいがちな「付随的なメリット」があります。

例えば、以下のような謳い文句です。 ・心身ともに強くなれる ・礼儀正しくなる ・全国に素晴らしい仲間ができる ・他人と共に成長できる ・リーダー的資質が磨かれる

これらはすべて素晴らしいことであり、言うまでもありません。 ただし、指導者として忘れてはならないのは、これらはあくまで「そうなるかもしれない(可能性がある)」程度のことでしかないという事実です。

付随的メリットは「他でも得られる」

礼儀正しくなる可能性も、仲間が増える可能性も、リーダー的資質が磨かれる可能性も、すべての拳士が等しく享受できる絶対的なものではありません。

そして何より残酷なのは、これらの付随的なメリットは「少林寺拳法でなくても、他の武道やスポーツでも十分に当てはまる」ということです。決して少林寺拳法の専売特許ではありません。

もし、これらの付随的なメリットだけを推されて入門した人が、期待通りにそのメリットを享受できなかったらどうなるでしょう。 「自分には合わなかった」「思っていたのと違った」と、少なからず落胆して道場から足が遠のいてしまうはずです。

理想像を「強いる」ことの息苦しさ

少林寺拳法には、明確な「目指すべき人間像」があります。それは拳士全員が目指すところであって然るべきです。

しかし、「こうなるべきだ!」と強く強いられると、人はあまり良い気がしないものです。 崇高な目標が掲げられていても、そのすべてを完璧に達成できなければ少林寺拳法をやる意味がないのかと言えば、到底そんなことは思えません。

「少林寺拳法でしか得られないものは一体何なのか?」

付随的メリットだけを前面に押し出すような耳障りの良い広報に頼るのではなく、一度立ち止まってこの問いと向き合う姿勢が、これからの普及活動には絶対に必要だと思います。

本当に推すべきは「剛柔一体」という実質的メリット

「少林寺拳法をやってみたい」と純粋に思わせるためには、まずは他にはない実質的なメリット、つまり「独自の技の魅力」を前面に推し出すべきです。

ちなみに、私が個人的に一番の魅力に感じているのは「剛柔一体」という技術体系です。 突きや蹴りといった打撃(剛法)だけでなく、相手の力を利用して崩す投げや関節技(柔法)も同時に習得でき、両得であること。

この剛法と柔法を組み合わせ、自身の内部感覚を研ぎ澄ましながら身体操作を深めていくプロセス。それこそが、心と体を統合していく「拳禅一如」という少林寺拳法独自の境地へ繋がっていくのだと確信しています。

今の私は、東京日本橋道院の道院長という立場で、こうした少林寺拳法ならではの本当の魅力をどう伝えようかと試行錯誤し、普及活動そのものを心から楽しんでいます(すっかり夢中になっている、と言った方が正しいかもしれません)。

他にはない「独自の技の面白さ」をまっすぐに伝えること。それこそが、一番誠実で、一番響く普及の形なのだと思います。

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