道院や支部を運営していると、修練に足が遠のいている拳士に対して、こまめに連絡を取って参座を促す指導者の方もいらっしゃるようです。
しかし、東京日本橋道院の道院長として、私はそのような「引き留め」や「お誘い」を原則として一切する必要がないと考えています。
なぜなら、武道の修練とは他人に言われてやるものではなく、本人が「やりたい」と心から思って取り組むべきものだからです。
やりたくない人を誘うエネルギーは不要
はっきり言いますが、やりたくない人に武道を教えることほど、指導者にとって苦痛なことはありません。
気が乗らない人を無理に誘うことに大切なエネルギーを使うくらいなら、今日この日、目の前の道場に足を運び、汗を流している拳士だけを手厚くサポートする。その方が、お互いの未来にとって絶対に良いはずです。
そもそも、自分自身の心身を鍛えるための修練です。 するのも、しないのも、最終的に決めるのは自分自身。他人に促されて渋々参座するような姿勢は、武道において決して好ましいことではありません。
もちろん、参座できない理由は人それぞれです。 仕事や家庭の事情など、どんな理由であれ、本人にとっては重要なことでしょう。だからこそ無理はさせませんし、時が経ち、状況が変わって「また修練したい」と自発的に思う日が来れば、その時にまた道場の門を叩けば良いのです。
大会や昇格試験の前だけ来る拳士は「似非者」
ただし、私が絶対に看過できないケースが一つだけあります。 それは、「大会や昇級・昇段試験の前だけ慌てて参座する拳士」の存在です。
試験や大会の前だけ付け焼き刃で修練をしたところで、時すでに遅し。 仮に短期間で形だけを身につけて結果を出せたとしても、そのような表面的な技はすぐに陳腐化し、崩れ去ります。
「自分は動けるから」「やり方は覚えているから」と御託を並べ、いかにも技や教えを深く理解しているような顔をしているならば、それは武道家ではなく、ただの「似非者(えせもの)」です。
覚悟を決めたなら、自らの意志で道場へ
厳しい言葉になりましたが、技や教えに対する「好奇心」や「向上心」を持たない者は、もはや拳士とは呼べません。 少林寺拳法の奥深さを自ら知ろうとしない拳士は、結局のところ、いざという時に何もできないのです。
だからこそ、私は「今、目の前で参座している人」だけを全力で大切にします。
かつて、自分自身で覚悟を決めて道場の門をくぐり、入門した日のことを思い出してください。 本当に強くなりたい、自分を変えたいと願うなら、自らの意志で、可能な限り道場へ参座すべきなのです。


