「YouTubeなどの動画を見て研究すれば、少林寺拳法の演武は上手くなるのでしょうか?」
現代ならではのこの問いに対し、私の答えはこうです。 「上達の手立てにはなるが、それを正しく活かせる拳士の条件は極めて厳しい」
動画を「自分の力」に変えられる厳しい条件
動画を見て上達するためには、まず「画面の中の動きが、今の自分自身にとって本当に正しい(合っている)ものか」を見極める高い眼力が必要です。
自分自身を見極めるためには、数多くの技や構成を幾度となく自身の身体で試し、自分の骨格や筋肉の動き(内部感覚)を深く理解していなければなりません。 はっきり言えば、自身の技量と個性に合った演武を完全に手に入れ、全国大会で三位以内に入賞するくらいのレベルにあって、初めて動画を正しく取捨選択できるのだと思います。
あるいは指導者の場合であれば、何年にもわたって大会に出る多くの拳士を指導し、様々な骨格や個性のパターンを熟知していなければなりません。そのレベルの「高い客観的視点」があって初めて、各拳士に合う演武・合わない演武を仕分けし、動画の情報を有益なアドバイスに変換できるのです。
内部感覚なき「猿真似」は、最悪のコピー
そういった積み重ねや豊富な経験がない未熟な拳士が、安易に動画の動きを取り入れようとするとどうなるか。
結果は、ほとんどが「猿真似」になってしまいます。 基本の技や法形の原理原則を理解しないまま、動画の表面的な動き(現象)だけをなぞっても、内部の身体操作は全く伴っていません。見かけだけのペラペラなコピーにしか思えない演武になりがちです。
動画では「形」は見えても、その拳士がどう体重を移動させ、どう重心を捉えているかという「内部感覚」までは絶対に映らないのです。
昔は「8ミリビデオ」だった。動画の普及は言い訳
最近、「現代の学生の演武は、どれも同じに見える」という意見をよく耳にします。私自身もその意見には強く共感します。
しかし、ある先生が仰る「色んな動画が簡単に見れる時代になったから、どれも同じ演武になってしまったのだ」という意見には、少し違和感を覚えます。動画の普及が全てではないと思うからです。
なぜなら私たちが学生だった時代も、8ミリビデオを回して、最優秀に選ばれそうな他大学の演武をこぞって撮影していました。そして録画した荒い映像をあとですり切れるほどじっくりと見て、色々試行錯誤したものです。
確かに現代は昔とは比べ物にならないほど動画が出回っており、情報過多で余計に翻弄されてしまっている拳士が多いのは事実でしょう。しかし、それが演武を画一化させている「本当の元凶」ではありません。
演武をつまらなくしている「本当の理由」
現代の演武がどれも同じに見えてしまう本当の理由。 それは、今の演武がどちらかと言えば「審査基準(ルール)に合わせただけの演武」になってしまっているからです。
減点されないための構成、審判の顔色をうかがう動き。 つまり、厳格化されすぎた「ルール」そのものが、拳士の個性を奪い、演武を息苦しくつまらないものにしてしまっているのだと思います。
動画の猿真似や、ルールに縛られた「正解探し」をやめない限り、人の心を打つ本物の演武は生まれません。 外部の映像に答えを求める前に、まずは自分自身の身体と向き合い、泥臭く基本の理合いを磨き上げること。それが結局のところ、一番の上達の道なのだと私は強く思います。


