稽古に対するモチベーションが高く、「道場以外でも自主練をしたい」と考える熱心な拳士がいることは、指導者として大変喜ばしいことです。

しかし、私は東京日本橋道院の道院長として、見習い拳士や級拳士(段外拳士)の「一人稽古」は原則として推奨していません。

「自主練=積極的で素晴らしい」と思われがちですが、武道においては、それが時に大きな罠となるからです。今回はその理由をお話しします。

未熟な「目」が悪いクセを定着させる

見習い拳士や級拳士は、まだ少林寺拳法の経験が浅く、技術が未熟であるのは当然のことです。 しかし、それ以上に重要なのは「技の良し悪しを正確に判断する『目』が養われていない」という点です。

突き・蹴り、あるいは抜き技や逆技など、武道の基本動作は非常に繊細です。 正しい身体操作がまだ安定していない状態で一人稽古を行うと、自分では正しくやっているつもりでも、実は間違ったフォームで反復練習を繰り返してしまう危険性が非常に高くなります。

正しくない形で繰り返し稽古を行った場合、当然ながら「悪い形(クセ)」が強固に身についてしまいます。 せっかくの熱心な練習が、無駄になるどころかマイナスに働いてしまうのです。

悪いクセを直すのは、ゼロから覚えるより厄介

この「悪いクセがついてしまうこと」の最も厄介な点は、それを直すために途方もない時間と労力がかかることです。

何もないゼロの状態から正しい動きを覚えるよりも、一度染み付いてしまった間違った身体の動かし方をリセットし、再び正しい形を上書きしていく作業の方が、はるかに困難を極めます。

熱心に自主練をした結果、かえって上達を遅らせるための「負の修練」を重ねてしまう。これが、段外拳士の一人稽古の恐ろしいところです。

段外拳士同士の「教え合い」も危険である

一人稽古だけでなく、段外拳士同士での「教え合い」にも注意が必要です。

お互いに技の理合いや正しい動きを見抜く目が養われていないため、間違った動きをしていても指摘できず、誤った認識のまま二人で納得してしまうことがあります。 これでは、せっかくの練習も無駄になるどころか、お互いにとって「害」になりかねません。

安定した基本が身につくまでは、指導者のもとで

では、どうすれば良いのか。 答えはシンプルです。「安定して正しい基本の動きが身につくまでは、常に指導者の目が行き届く環境で修練すべき」なのです。

道場での修練は、指導者がその都度「目」となり、フォームのズレや身体の使い方の間違いをリアルタイムで修正していくためにあります。

基本の動きが正しくできている人には、無限の伸び代があります。 しかし、基本が間違ったまま固まってしまった拳士は、いつまで経っても本当の意味で上達することはありません。

熱心な気持ちは胸に秘めつつ、まずは道場という環境で、指導者と共に「ブレない基本」を徹底的に作り上げていきましょう。

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