【少林寺拳法】私服・Tシャツで教える指導者の怠慢。道着を着ない者が「拳禅一如」を語る資格はない
道場において、指導者の立場でありながら、私服や上着がTシャツ姿のままで指導に立っている人間を極たまに見かけることがあります。 武道において、「道着に袖を通し、帯を締める」という行為は、単なる物理的な着替えではありません。 […]
【少林寺拳法】指導者の学びの場は「自分の道院・支部」にしかない。資格や肩書き集めに逃げるな
少林寺拳法では、本来の武階・僧階・法階の他にも、近年さまざまな新しい資格が増設されています。 指導経験の浅い若い拳士にとっては、これらが勉強のきっかけになるのは事実でしょう。また、過去の成功体験に固執し、新しい事実を受け […]
【少林寺拳法】門下生と張り合う指導者の末路。マウントと「イエスマン」が組織を腐敗させる理由
指導者の本来の役割とは何か。それは明確に「後進の育成」です。 少林寺拳法であれば、後輩拳士たちがやがて指導者である自分自身を、人格の面でも技法の面でも越えていけるように導くこと。それが正しい指導のあり方です。 しかし現実 […]
【少林寺拳法】若い指導者は「強固な信念」を持つな。固執が成長を止め、変化を拒む理由
若い指導者が強いこだわり(信念)を持つことは、一見すると熱心で素晴らしいことのように思えるかもしれません。しかし結論から言えば、経験の浅いうちから強固な指導信念を持つことは、自らの変化を拒み、成長の機会を完全に潰してしま […]
【少林寺拳法】技の達人が「指導者」として失格になる理由。自分への甘さとダブルスタンダードの醜悪さ
少林寺拳法界には、見事な技を体現する優れた達人が数多くおられます。 しかし、すべての達人が周囲から教えを乞われ、「指導者」として尊敬して扱われているかと言えば、現実は全く異なります。技は凄いはずなのに、なぜか人が寄り付か […]
【少林寺拳法】合同練習は単なる「思い出作り」か。手抜き指導の実態と、不満を漏らす参加者の致命的な甘え
SNSを開けば、大学の拳法部や様々な道院・支部が集まり、笑顔でワイワイと合同練習を行っている楽しそうな写真が溢れています。 しかし、それに参加して「やった感」や「楽しさ」だけで終わり、自分の技量や内部感覚には何一つ実利( […]
【少林寺拳法】段位や「受け売り」で語る指導者の卑怯さ。己の身体で得た生きた経験のみを語るべき理由
「私は少林寺拳法〇段です」 「〇〇という役職を務めています」 自己紹介や指導の場で、自身の段位や役職をことさらにアピールする拳士をよく見かけます。しかし、教わる側の門下生にとって、そんな指導者の「付録」などほとんど興味の […]
【少林寺拳法】指導者は好かれるより「信頼」されよ。技を見せるだけの傲慢な指導が不信を生む理由
技を見せ、正論を言えば伝わるという「指導者の錯覚」 「きちんと言葉で説明すれば分かるだろう」 「自分が素晴らしい技の手本を見せれば、もっと分かるだろう」 もしあなたがそう考えているならば、それは指導者としての大きな勘違い […]
【少林寺拳法】指導者のそばには「ツッコミ役」が必要。地位に胡座をかかず「自分はまだまだ」と自戒する理由
道院長や支部長という立場になると、門下生に「指示をする立場」になるため、自分の動きや指導に対して他人から指摘される機会が極端に減ってしまいます。 実は、これが一番恐ろしいことなのです。 指摘されない環境に長く居続けると、 […]









