技を見せ、正論を言えば伝わるという「指導者の錯覚」
「きちんと言葉で説明すれば分かるだろう」 「自分が素晴らしい技の手本を見せれば、もっと分かるだろう」
もしあなたがそう考えているならば、それは指導者としての大きな勘違いであり、傲慢である。 少林寺拳法の指導において最も重要なのは、自分がどれだけ正しい理屈を語れるかではない。目の前にいる相手の身体感覚や、物事の捉え方(世界観)を可能な限り深く知り、それに合わせたアプローチを探る泥臭い作業である。
技の真髄や内部感覚が相手に伝わるのには、何時間も、何日もかかる。さらに、相手がそれを頭で理解し、自らの身体操作として「体得」するまでには、気が遠くなるほどの時間を要するのが当然である。
「何が分からないのか」が分からない初心者
指導者がよく陥る罠がある。「私は正しいことを言っているのに、なぜ相手は分かっていないのか」「何が分からないのか質問しなさい」と門下生を問い詰めることだ。
しかし、初心者の場合、「分からないこと自体が分からない」状態にあるのが普通である。自分の身体のどこがどう動いていないのか、その内部感覚すら掴めていないため、そもそも「何を聞けば良いのか」が分からないのだ。
それにも関わらず、相手が理解できないことを「運動神経がない」「賢くない」と嘆く指導者は、単なる思い上がりである。「自分の技や説明は完璧なのだから、それで上手くならない相手が悪い」という思考停止に他ならない。
相手の現状を汲み取る姿勢が「信頼」を生む
どんなに指導者が優れた技を見せ、理にかなった正しい理屈をたくさん並べたとしても、それが相手の現状(レベルや理解度)に全く寄り添っていないものであれば、教わる側はちんぷんかんぷんになるだけである。
結果として、門下生は「この先生は自分のことを全く分かってくれない、自己満足の人だ」と不信感を抱くようになる。
指導のスタイルが、優しく丁寧に教えるものであろうと、一切の妥協を許さず厳しく教えるものであろうと、相手の現状にしっかりと合っていれば、それはどちらも「正しい指導」である。 一番大切なのは、まず相手の状況をできるだけ汲み取り、察しようとする姿勢を見せることだ。「この先生は、不器用な自分の現状を分かろうとしてくれている」という実感こそが、門下生からの揺るぎない信頼に直結する。
武道における上達には、途方もなく長い時間がかかる。その貴重で苦しい時間を、不信感を抱えながら過ごすほど無駄なことはない。 好かれるための機嫌取りなど一切不要である。しかし、門下生と向き合い、その現状を理解しようとする執念だけは、指導者として決して手放してはならない。


