SNSを開けば、大学の拳法部や様々な道院・支部が集まり、笑顔でワイワイと合同練習を行っている楽しそうな写真が溢れています。 しかし、それに参加して「やった感」や「楽しさ」だけで終わり、自分の技量や内部感覚には何一つ実利(変化)をもたらさなかった、という経験を持つ拳士は少なくないはずです。

結論から言えば、テーマを明確に絞らない合同練習は、多くの場合ただの「思い出作り」であり、参加する全員にとってメリットがあるような魔法の場ではありません。

指導者の手抜きと「ビュッフェ形式」の限界

なぜ合同練習が中身のないものになりやすいのか。それは、規模が大きくなればなるほど、指導が「誰にでも無難に当てはまる薄い内容」にならざるを得ないからです。

大会の手伝いで配られるお弁当と同じです。「肉が良い」「魚が良い」「野菜が良い」という全員の好みを満たそうとすれば、結局は特徴のない幕の内弁当になります。 指導者側にも「自分は柔法が苦手だから、他の先生にまとめて任せよう」という手抜き(依存)の心理が働くことがあります。お互いを補完し合うと言えば聞こえは良いですが、実態は指導の責任放棄であるケースも大いに存在します。

不満を漏らす参加者の「被害者意識」という盲点

しかし、ここで参加する拳士側に鋭く突きつけなければならない事実があります。 合同練習が終わった後に、以下のような言い訳をしていないでしょうか。

  • 「自分の技量と合っていなくて参考にならなかった」
  • 「みんなの前だから、気を遣って本当に聞きたいことが質問できなかった」
  • 「技量の高い他大学・他支部の拳士と比較して落ち込んだ」

厳しいようですが、これらはすべて「誰かが自分に合った指導をしてくれるはずだ」という受け身の甘え(お客様気分)です。

自分の身体特性やバイオメカニクスと向き合い、本気で技を盗もうとする拳士であれば、人が多くて質問できなくても、優れた拳士の動きを徹底的に観察する「見取り稽古」からいくらでも情報を抽出できます。他人と比較して落ち込んでいる暇などないはずです。 「合わない拳士に引っ張られて面倒だった」と言うならば、なぜ自ら環境をコントロールし、自分に必要な修練を主張しないのでしょうか。環境のせいにして実利を得られなかったのは、他でもないあなた自身の弱さと覚悟の欠如です。

合同練習を「実利」に変えるための戦略

合同練習という場は、漫然と参加すれば「良い修練をしたという錯覚」に陥るだけの危険な劇薬(諸刃の剣)です。これを意味のあるものにするためには、企画する側と参加する側の双方に極めてドライな戦略が必要です。

立場求められる戦略(実利の追求)
企画側(指導者)「参加者全員を満足させる」という幻想を捨てる。ターゲットの層(段位・年齢)とテーマ(剛法の重心移動など)を極限まで絞り込み、それに該当しない者の参加は断るほどの徹底が必要。
参加側(拳士)「今日の練習でこの技術(内部感覚)だけは絶対に盗んで帰る」というピンポイントの目的を持つ。得られるものがないと判断したなら、群れに流されず、所属道院での修練や個人での出稽古を選択する合理性を持つ。

みんなで集まって汗を流すこと自体を否定はしません。しかし、私たちが求めているのは「楽しかったね」という慰め合いではなく、己の身体をどう使いこなし、相手を制するかという武道の実利です。 馴れ合いの合同練習に逃げる前に、まずは自分自身の修練に対する姿勢を疑うべきです。

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